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トロベリ畑

SSPで動作する伺かのゴースト等を配布しています。                       ゴーストは「カテゴリー」のそれぞれのページからダウンロードして頂く事が出来ます。「おまけ」でもゴーストを配布しています。 配布している全てのゴーストはアーカイブ更新のみに対応しており、ネットワーク更新は実装されていません。 現在、融花のver.は2.1.3です。木更木のver.は2.0.13です。アイソトープのver.は0.99.5です。サキュレキのverは1.0.12です。

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無題

 公開二周年おめでとうございます。
 せっかくなのでとーかちゃんについて私が「こうなのかな」って思っていることをだらだら書かせていただきました。長い!読みづらい!的はずれすぎー、じゃないか怖いですが、お時間があればお読みください。長すぎる場合は応援していることだけでも伝われば、と思います。

 ある程度関係が進展した後も、彼女は度々ユーザに警告する。また自身の変化(または回帰)に対しても警戒している。それはなぜか。
 まず、母親の理想は支配的であり彼女にとって窮屈だが、「理想」というだけあって、言葉の上では否定しづらいものだ。そのため彼女なりの防御は理想への反発、世界への冷めた態度とならざるを得なかった。
 彼女は変化を自覚しつつも、この防御を簡単に変更する訳にはいかない。なぜなら自身の変化を認めるとき、これまでよりも弱い防御を築くことになる。しかしそれは母親との距離が近づくことになってしまう。
 これは彼女にとって望ましくないことである。すでに拒絶することで処理した母親との関係を改めて捉え直すことは当然苦痛であるし、「長い話 夢重力下の憧憬風景」で語られるように、ユーザとの対話はこれまでの防御をより強固にすることにあったのだ。心の底では微妙かもしれないが、表面上の理由として彼女はそれを望んでおり、口にして確認していた。そのため世界に期待し始めた自分を抑えこもうとする。期待して、もう一度拒絶する可能性に比べれば、確実に安全だからだ。
 では彼女が変化を受け入れるにはどうすればよいのだろうか。何が必要なのだろうか。

 『何もかもを許して』は私の中で特に印象に残っている言葉だ。頭をなでたり抱きしめたりするとき、彼女は「許し」を望むような発言をする。そしてその「許し」はおそらく、『あなたは間違っていない』と肯定することではない。
 彼女はいかに自分が歪んでいるか、世界との距離をよく意識している。その距離は彼女に寂しさをもたらす一方で安心も与えるだろう。つまり自身の思想は世界に適合しておらず、いつ切り捨てられても問題がない。誰かに損失を与えないという安堵感だ。ではそのような彼女が語る『何もかもを許して』は、どのような「許し」を求めている言葉なのだろうか。
それは『あなたは間違っている、でも許してあげる』という彼女の歪みを含めて許容するものであり、結局のところ「母性」と呼ばれるものだと思う。「母性」というのは、ただ相手を受け入れるだけの存在ではない。『母親は、母親だからという理由で、そんな人間の事を受け入れてはくれないものでしょうか』と語るように、彼女は自分が「受け入れられる」ことに疑う余地のない理由も求めている。そのような相手に疑いを持たせない存在こそが「母性」なのだ。
 彼女が変化を受け入れられるよう進むには、彼女の全てを「許す」存在が必要だ。その存在に母親ではない人物、例えばユーザはなれるだろうか。それはわからない。だが母親ではない人物がなること自体は不可能ではないはずだ。

我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶かめや巌畳がんでふに出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。(『西方の人』芥川龍之介)

 そして特別でない人から「許される」ことが特別な母親を「許す」ことに、「諦める」とは違う在り方に繋がるのではないだろうか。それは母と子ではないかもしれないし、全く立場が逆の関係かもしれないが、彼女たちの望ましい関係はそこにしかないように思う。

 長いわりに一般論っぽくなってしまいました。(しかも引用まで使って!カッコ悪い!)ただ彼女自身が本当は何を望んでいるのかわからない、曖昧な状態になったのは良い方向だと思っています。『私が何もかもを諦めても、私の事を諦めないでいて欲しい』とか言うようになったのも、諦めきれてない感じと予防線張りたい感じが混ざっていて可愛いです。
あとは『あなたは思っているよりも普通の女の子ですよ』と伝えたいですね。やはり私には環境が特殊であっただけの、平凡な、愛されたい子供のように思えます。親しくなったあとのユーザからなら、ただの気休めではないと思ってくれないでしょうか。期待し過ぎかも。
 長々と失礼しました。まだまだ私の中で消化できていない部分や、矛盾を感じる部分もあります。それも含めて彼女がどう変化していくのか、とても楽しみです。
 以上、これからもこっそりひっそり応援させていただきたいです。ありがとうございました。

融花の二周年と木更木のバーベキュ

融花のランダムトークを12個増やしました。
季節トークを6つ増やしました。

木更木のランダムトークを一つ増やしました
コミュニケートを二つ増やしました。
バーベキューイベントを追加しました。

バーベキューイベントは木更木と一緒にバーベキューに行きます。
八月中限定で餌付けから。
単発のイベントよりモードの方が良いとツイッタ上で意見を頂きましたので、
モードっぽいものにしてみました。
……実際の所は、最初からモード変更の方がいいなぁと思っていたのが、
幸いにも時間的に間に合ったというだけだったりしない事もなくもないです。
ちょっと今までやった事のない事をやったので、バグっているような予感が凄くします。
バグってんじゃね?と思われたら是非教えてください。
八月一杯は繰り返し見られるイベントなので、
某ホワイトデーよりは、バグっても取り返しが利くと思います。

融花の公開から24日で二周年になります。ランダムトークが400個になりました。
去年の一周年の記事を書いた時に、200個になったとブログに書いていたので、
一年で200個増えるペースのようです。
二年目を迎える時にはさほど思う所も無かったような気がしますが、
三年目というと「わぁ」という感じです。
三年目はランダムトークが600個になるように更新していきたいです。フェイズ3も。
相変わらず予定は未定、行き当たりばったりでやっていきますが、
三年目もよろしくお願いします。

更新していない間に拍手を15個頂きました。ありがとうございます。

>好かれるための演技を~((コミュ反応)) そのままが好きなんだよ。言わせんな恥ずかしい
コメントありがとうございます!

頂いたコメントの内容に近いと思われるコミュニケートを実装してみました。
好感度などの条件が多少ありますが、宜しければ。

>更新お疲れ様です 融花の更新があるたびに心の中で小躍りして喜んでます あと更木更がかわいくて悶えてます
コメントありがとうございます!

ここ数ヶ月は更新の内容も頻度も少なくてなんだなと思いつつ、
もっと喜んで頂けるようにしていきたいです。

更木更はー、、、あざといですね。あざとい。

>木更木とのバーベキュー死ぬほど楽しみにしてます! なんかもう各地の名物を食べ歩いて一緒に旅行したりとかしたいですね!
コメントありがとうございます!

し、死ぬほどと言われるとハードルが……!と思いつつですが、楽しんで頂けると嬉しいです。

良いですねぇ……旅行。
事前に旅行誌などを見て計画を立てておくのも、
情報をほとんど仕入れずに二人でうろつくのもどちらも楽しそうです。

 

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無題

 公開二周年おめでとうございます。
 せっかくなのでとーかちゃんについて私が「こうなのかな」って思っていることをだらだら書かせていただきました。長い!読みづらい!的はずれすぎー、じゃないか怖いですが、お時間があればお読みください。長すぎる場合は応援していることだけでも伝われば、と思います。

 ある程度関係が進展した後も、彼女は度々ユーザに警告する。また自身の変化(または回帰)に対しても警戒している。それはなぜか。
 まず、母親の理想は支配的であり彼女にとって窮屈だが、「理想」というだけあって、言葉の上では否定しづらいものだ。そのため彼女なりの防御は理想への反発、世界への冷めた態度とならざるを得なかった。
 彼女は変化を自覚しつつも、この防御を簡単に変更する訳にはいかない。なぜなら自身の変化を認めるとき、これまでよりも弱い防御を築くことになる。しかしそれは母親との距離が近づくことになってしまう。
 これは彼女にとって望ましくないことである。すでに拒絶することで処理した母親との関係を改めて捉え直すことは当然苦痛であるし、「長い話 夢重力下の憧憬風景」で語られるように、ユーザとの対話はこれまでの防御をより強固にすることにあったのだ。心の底では微妙かもしれないが、表面上の理由として彼女はそれを望んでおり、口にして確認していた。そのため世界に期待し始めた自分を抑えこもうとする。期待して、もう一度拒絶する可能性に比べれば、確実に安全だからだ。
 では彼女が変化を受け入れるにはどうすればよいのだろうか。何が必要なのだろうか。

 『何もかもを許して』は私の中で特に印象に残っている言葉だ。頭をなでたり抱きしめたりするとき、彼女は「許し」を望むような発言をする。そしてその「許し」はおそらく、『あなたは間違っていない』と肯定することではない。
 彼女はいかに自分が歪んでいるか、世界との距離をよく意識している。その距離は彼女に寂しさをもたらす一方で安心も与えるだろう。つまり自身の思想は世界に適合しておらず、いつ切り捨てられても問題がない。誰かに損失を与えないという安堵感だ。ではそのような彼女が語る『何もかもを許して』は、どのような「許し」を求めている言葉なのだろうか。
それは『あなたは間違っている、でも許してあげる』という彼女の歪みを含めて許容するものであり、結局のところ「母性」と呼ばれるものだと思う。「母性」というのは、ただ相手を受け入れるだけの存在ではない。『母親は、母親だからという理由で、そんな人間の事を受け入れてはくれないものでしょうか』と語るように、彼女は自分が「受け入れられる」ことに疑う余地のない理由も求めている。そのような相手に疑いを持たせない存在こそが「母性」なのだ。
 彼女が変化を受け入れられるよう進むには、彼女の全てを「許す」存在が必要だ。その存在に母親ではない人物、例えばユーザはなれるだろうか。それはわからない。だが母親ではない人物がなること自体は不可能ではないはずだ。

我々はあらゆる女人の中に多少のマリアを感じるであらう。同時に又あらゆる男子の中にも――。いや、我々は炉に燃える火や畠の野菜や素焼きの瓶かめや巌畳がんでふに出来た腰かけの中にも多少のマリアを感じるであらう。マリアは「永遠に女性なるもの」ではない。唯「永遠に守らんとするもの」である。(『西方の人』芥川龍之介)

 そして特別でない人から「許される」ことが特別な母親を「許す」ことに、「諦める」とは違う在り方に繋がるのではないだろうか。それは母と子ではないかもしれないし、全く立場が逆の関係かもしれないが、彼女たちの望ましい関係はそこにしかないように思う。

 長いわりに一般論っぽくなってしまいました。(しかも引用まで使って!カッコ悪い!)ただ彼女自身が本当は何を望んでいるのかわからない、曖昧な状態になったのは良い方向だと思っています。『私が何もかもを諦めても、私の事を諦めないでいて欲しい』とか言うようになったのも、諦めきれてない感じと予防線張りたい感じが混ざっていて可愛いです。
あとは『あなたは思っているよりも普通の女の子ですよ』と伝えたいですね。やはり私には環境が特殊であっただけの、平凡な、愛されたい子供のように思えます。親しくなったあとのユーザからなら、ただの気休めではないと思ってくれないでしょうか。期待し過ぎかも。
 長々と失礼しました。まだまだ私の中で消化できていない部分や、矛盾を感じる部分もあります。それも含めて彼女がどう変化していくのか、とても楽しみです。
 以上、これからもこっそりひっそり応援させていただきたいです。ありがとうございました。

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